2021年12月10日金曜日

桑園(第2回)

桑園(第2回)
第000013号(泰永08年本紙第0001号)
掲載 泰永08年12月10日

この記事は、群馬高専 Advent Calendar 2021 10日目の記事です。

まず!この記事の公開が大幅に遅れましたことを、心から!心からお詫び申し上げます!!!

○「群嶺」の歴史とこれからを語る
 みなさんこんにちは!群馬高専で国王をやっております、ヘンリー!と申します。仲良くしてね。Twitterもやっているのでぜひフォローしてください。(品性下劣につき注意)
   ⇨ヘンリー!(@Henry120901)
 このサイトも、私のやっている国、泰佑共和国(共和国なのに国王がいるというツッコミはなし)の官報として開設したものです。たまーに更新しているので、ぜひ見てくださると嬉しくなります。

 さて、群馬高専には全学生をもって構成される「群馬工業高等専門学校学生会」というものがあります。学生会にはいろいろな機関がありますが、その中に「各種委員会」というものがあります。各種委員会というのは、学級委員会とか、体育委員会とか、文化委員会とかそういうものを指すのですが、その中に群嶺委員会というものがあります。では!群嶺委員会とは何をするところなのでしょうか!?

 群嶺委員会は、「群嶺」という学生会の機関誌を編集・発行しています。分かりやすく言えば、「学生の文集を作っているところ」です。私は、今年度の群嶺委員会委員長に就任しました。
 今回は、委員長として、「群嶺」の歴史とこれからについて、少し語っていこうと思います。また、今回の記事と同様のものは、今年度の発行する「群嶺第58号」にも掲載されていますので、ぜひそちらもお読みください。


「群嶺」の歴史

 まず、簡単に群嶺の歴史について書いていこうと思います。
 「群嶺」は、群馬工業高等専門学校学生会規約(昭和38年規則第4号)において、群嶺委員会が編集することとされている「学生会の機関誌」です。似て非なるものに群馬高専新聞という「学生会の機関紙」がありますが、こちらは、新聞委員会が編集することとされており、その持つ意味が異なります。群馬高専新聞が報道の使命を負うのに対し、群嶺は、学生生活の一年を学生が自ら総括するという使命を負っています。
 群嶺の名称は、昭和37度の教官会議で決定されました。言うまでもなく、群嶺とは、上毛三山のことを指しますが、この語は、後に校歌に「ひろ野を囲む 群嶺よ」と採用されたり、群嶺会館の名称に採用されたりと、群馬高専の学生にとって大変に身近なものとなっています。
 群嶺の歴史は、昭和37年夏にまで遡ります。当時、一般科助教授の水沢利忠教官(当時教務主事)は、学生の作文集を作ろうとお考えになり、K君(当時土木工学科1年)にこれを依頼されました。この作文集が後の「群嶺」となります。有志3名から4名という少ない編集委員でスタートを切りましたが、K君を始めとする編集委員と水沢教官は、立派に全484頁に及ぶ群嶺創刊号を謄写版(俗にガリ版とも言います。)でお作りになりました。
 以後、本号に至るまで、群嶺委員にその熱意は受け継がれ、今もなお、群嶺は学生の楽しみとする雑誌の地位を得ています。
 全部の号が揃っているわけではありませんが、過去に発行された群嶺は、群馬工業高等専門学校図書館の集密書庫に蔵されています。発行された時代背景と合わせて読むと、日本の歴史をたどることもでき、非常に読み応えがあります。初期の号は、印刷会社に製本を依頼することが予算の関係で無理であったため、先述のとおり謄写版で作成されていますし、学生運動が盛んになったころには、その話題が多く掲載されたり、宗教研究などが掲載されたりしており、その時代の技術や文化を今に伝えるだけではなく、群馬高専の自由な校風の息吹を感じさせてくれます。
 皆さんも、ぜひ図書館に足を運んで、諸先輩の青春の文に思いを馳せてはいかがでしょうか。


「群嶺」のこれから

 次に、群嶺のこれからについて書いていこうと思います。
 かつての群嶺を読んでみますと、卒業文集的な側面を持った第4・5号があったり、学生運動色の強い昭和40年代に発行された各号があったりと、その時代々々で、群嶺にはいろいろな顔がありました。
 こうした頃の群嶺は、特定の学生ではなく、たくさんの学生が思い思いの作品を掲載することができていました。しかしながら、いつ頃からか(少なくともここ20年は確実)群嶺委員会が指定した人だけが寄稿できるという、なんとも不公平な状況が続いていました。
 「学生会の機関誌」なのですから、希望する学生は全員寄稿できるようにすべきである。そうは思いませんか?少なくとも、私はこの状況を打破して、かつてのような装いを取り戻そうと思いました。加えて、学生会の機関誌でありながら、学生会的な側面が少ないようにも感じました。もっと学生会の活動にスポットライトを当てても良いのではなかろうか。そうも思いました。
 ですから、今年度発行する群嶺第58号は、こうした問題をクリアしたものとするつもりです。具体的には、本科生・専攻科生・教員から自由な原稿を募集したり、今まで学生会の役員しか書いていなかった原稿を評議委員長や各種委員会の委員長などにも書いてもらったりするなどです。
 しかしながら、まだまだ未熟であることは痛感しております。私が作った「古いけど新しい群嶺」を、さらに大きく発展させてくれる後輩の登場を心から願うものであります。


群嶺刊行の記

 最後に、群嶺創刊号(昭和38年3月31日発行)に掲載された、「群嶺刊行の記」を原文のまま掲載して、この記事を終わろうと思います。
 水沢教官がお作りになった「群嶺」の栄光の歴史と、今後のますますの発展を心から祈念して、群馬高専 Advent Calendar 2021 10日目の記事「「群嶺」の歴史とこれからを語る」を終わります。ありがとうございました。


群嶺刊行の記
一般科 助教授 水沢 利忠
 はじめの思いつきは、国語科として学生諸君の作文集をつくって見ようということでした。それともう一つ、高専が新しく発足したものであるだけに、諸君の作文を通じて世間の人々に高専というものを正しく認識し評価してもらおうという意図もありました。そんなつもりで作文を選んでは筆耕にまわしていますうちに、だんだんと、折角つくるならなるべく高専生活の全貌を盛り込んだものにしたい、という考えが育って来ました。
 それで、各自一篇ずつの作文のほかに、学校の諸行事についての作品をうしろに追加することになりました。また、高専の実態と高専生の精神生活を最もよく示すものとして、諸君の日記を掲載することとしました。日記の性質上、迷惑に思われる人もあるかと思いますが、選ぶときに支障がない様配慮はしたつもりですので、御諒承下さい。日記は、記録であるだけでなく自省の材料となるものですが、これを継続するのには強固な意志と習慣づけが必要です。今後とも良習を持続されるよう望みます。
 このようにして本誌の内容が充実してきますと、ますます本格的な編集にしたいということになり、校長先生はじめ教官各位からも玉稿をお寄せいただきました。御多用中にもかゝわらず有意義なご作品を下さいました各位に厚くお礼申上げます。
 一方、今回の発行を一度限りのものとせず、学校の機関誌として定期的に発行しようではないか、という考えが追々と固まって来て、本誌にふさわしい名称をつけることになりました。名称は校内で公募致しましたがなかなか結論に達せず、教官合議の上で「群嶺」に決定しました。云うまでもなく、上州三山をはじめ衆峰の秀麗を仰いで心を澄ませ、向上研鑽につとめる諸君の機関誌に適切な名称であります。
 何にしても第一年度のことですから、前例があるわけではなく、良いと思われることをあとからあとから加えましたので、分量も思いがけずに増え、体裁にも不揃いな点が生じた次第ですが、それだけに、諸君の日々の息吹きが脈々と紙面にあらわれ、読みごたえのあるものになったと確信しています。
 印刷や、刷り上がった紙の整理は、事務室の方々と、文芸部・教室委員をはじめ学生諸君総動員でやっていただきました。中にはこのためにずい分熱心に奉仕してくれた人もあります。特に記して謝意を表します。
 前にも記しましたように、この号を第一の階梯として、今後は毎年、一歩一歩とよい作品、上手な編集で、みんなの手で「群嶺」を育てて行きたいものです。そのための積極的な協力をお願いして、発刊の辞にかえます。
(昭和38年発行・創刊号から引用)
泰永八年十二月十日

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2020年5月13日水曜日

桑園(第1回)

桑園(第1回)
第000009号(泰永07年本紙第0003号)
掲載 泰永07年05月13日

○なんで留年したんですか?
 私はヘンリー氏と全然仲良くもないのですが、なぜ留年したのか気になって朝も起きれません。まさか寝坊し電車乗り遅れて1コマ目をサボる、或いは課題もせずドラクエをプレイし提出日当日に私に課題の範囲を聞いたりすることなどしない人でしょうが今後後輩の糧になるよう回答していただければ幸いです。
泰永七年五月三日
回答(国王陛下)
 質問ありがとう。桑園第一回の最初の質問がこのように辛辣とは、全く想像していなかったが、如何なる質問にも誠実に回答するということを約しているので、ここは素直に答えようと思う。
 まず、朕が留年した理由だが、これはただ一つ、勉強しなかったからである。後期定期試験期間、朕は、「ドラゴンクエストⅪ 過ぎ去りし時を求めて S」に大層はまってしまった。これは、否定できない事実である。この間、朕は学問ではなく、世界を救うことに邁進していた。そして、朕は世界の平和と引き換えに、学年を失った。こういうわけである。
 それと、寝坊して電車に乗り遅れ、遅刻した挙げ句に一時限及び二時限を欠課したということだが、これも何度も行ったことである。このようなことは、絶対に慎まなければならないであろう。
 さて、後輩改め同輩諸君は、このようなことをせず、課題の範囲は、常に事前に把握して、学問に勤しむべきである。再び、朕のような愚かなる者が生まれないことを切に希望する。
泰永七年五月十二日

○なんでたいすけが国王なんですか?
 なんでたいすけがずっと国王であり続けるんですか??たいすけが死んだら子供が国王になるんですか?
泰永七年五月四日
回答(国王陛下)
 質問ありがとう。だが、愚問である。泰佑共和国の前身たる泰佑帝国を新儀元年(キリスト紀元二千十一年)に建国したのは、まぎれもなく朕である。ゆえに、朕が国王なのだ。このようにしか回答できない。しかし、これで質問に回答したことにはならないだろうから、少しわが国の法令について話をしようと思う。
 泰佑共和国第二憲法第九条は、「国王は、泰佑共和国の元首であり、泰佑共和国の象徴且つ泰佑共和国民統合の象徴であって、この地位は、主権の行使を決する国民の総意に基づく。」と定めている。つまり、国王は、国民が望む限り、その国の元首としての地位にあり続けることになる。
 また、王位の継承だが、泰佑共和国第二憲法では、第十条で「王位は、世襲のものであって、王室典範の定めるところにより、王統に属する男子が継承する。」と定めている。王室典範では、第二条で王位継承について定めており、その順序を「王長子、王長孫、王長子の子孫、王次子及びその子孫、王兄弟及びその子孫、王伯叔及びその子孫、それ以上で最近親の王族」としている。
 すなわち、国民が望む限り、朕は国王であり続けるし、もし朕が崩じれば、わが息子がその王位を継承することになる。しかし、現在朕に子はない。早く、子に恵まれることを願っている。
泰永七年五月十二日

○建国の神話が知りたいです
 国には建国の伝説があり、私の住む国、日本は神武天皇が中国は始皇帝が建国したと言われていますが、泰佑共和国はどのように建国されたのでしょうか。
泰永七年五月四日
回答(国王陛下)
 質問ありがとう。泰佑共和国には、「建国伝」という神話がある。だが、これを神話と言ってしまうと、わが体制に正当性が得られなくなるため、神話ではなく、実話と称したい。この建国伝は、主な章として「現界の創造」、「天地国の肇国」、「同伊団の結団」、「人国の肇国」、「クゲンザネラ」、「要都選定」、「建国式典」が挙げられる。これらの章について、一つずつ解説していく。また、この建国伝は、現在鋭意執筆中である。いつの日かこれが完成したときは、国民の目に知らしめたい。
現界の創造
 鈴木家初代当主の鈴木斎兵衛は、故界日本国において百姓代としてその人生を歩まれていた。初代当主がお隠れあそばされた後、その魂は新たなる世界の創造に燃える。結果として、現界(故界のパラレル・ワールド)を創造なされる。まだ、初代当主しかおられない時代であった。
天地国の肇国
 その後、鈴木家第二代から第十五代までの当主は、お隠れあそばされる度に、初代が創造された現界へ向かわれ、そこで生活されるようになった。しかし、第十三代の当主が現界にお成りになったとき、初代当主がこれの生前の行為について咎められる。これに不満を持たれた第十三代当主は、その後、他の当主たちと対立するようになられる。
 第十四代当主がお隠れになり、現界へお成りになると、この混乱を鎮めるには、初代当主が治められる国と第二代以下私に至るまでの当主が治める国とに分けるしかないと仰せになられる。こうして、天帝(あめのみかど・初代当主)がお治めになる天国(あめのくに)と地帝(つちのみかど・第二代から第十四代当主)がお治めになる地国が肇められた。なお、第十五代当主もお隠れあそばされた後に地帝となられている。
同伊団の結団
 第十七代当主の鈴木泰佑は、お生まれになってからというもの、理想的な国を肇められることを夢見ていた。日ごとにその思いは強くなられ、ついに同級たちを説き伏せて、同伊団を結団し、故界を飛び出して新たな世界に旅立つこと決意される。
 故界を飛び出されると、すぐに天地帝(あめつちのみかど・天帝と地帝の総称)によって現界へ誘われ、そこに至る。
人国の肇国
 第十七代当主は、天帝に自らの創造したい国について熱弁される。心打たれた天帝は、地帝と合議して、新たに人国(ひとのくに)を創造し、これの支配を第十七代当主以下その子孫に任せることをお決めになられる。こうして、人国が肇められた。このとき、第十七代当主は、天帝から理想的国家を建てるまでの名として現志の名を賜る。
クゲンザネラ
 人国に船でお成りになり、島に降りられた現志は、そのそばにあった高台に登られて旗を大地に刺された。これが、今の鈴佑島である。その晩は、宴が催された。
 明朝、この島を理想的国家の本島とすることをお決めになられた現志は、その都を定めなければならないと仰せになり、島中を旅することが決定された。この日々の安寧を願って、現志はクゲンザネラという儀式を行われた。天地帝の力をその身に宿されたのである。
要都選定
 都の候補として挙げられた六つの地区は、要都と呼ばれることになる。ここを巡られた現志は、六番目に訪れられた六要地区を国都とすることを定められた。
建国式典
 新儀元年四月十日、六要州に設けられた六要宮殿及び六要大神殿で建国式典が挙行され、泰佑共和国の前身たる泰佑帝国が建国された。
泰永七年五月十二日

○侵略の意図は無い
 徴兵法と予備の人的資源
 工場数
 地域ごとのインフラレベル及び地形
 師団数と構成内容
 海軍艦艇数と空軍戦力
泰永七年五月四日
回答(国王陛下)
 質問ありがとう。しかし、これに答えることは、朕の行えることではない。内閣とも相談して、後日、しかるべき人間に回答させることにしたい。
泰永七年五月十二日

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2020年5月1日金曜日

桑園(予告)

桑園(予告)
第000006号(泰永07年号外第0003号)
掲載 泰永07年05月01日

○桑園について予告
 この度、国臣新聞巻末に「桑園」という企画が設けられることになった。この企画は、国民から広く政治や文化に関する意見を募集して掲載し、それに対する回答を行うものである。意見の募集は、原則匿名で行うから、多くの国民の募集を期待したい。
 意見は、共和印刷公社まで寄せられたい。なお、第一回は、次の本紙を予定しており、畏くも国王陛下が国民の意見に御回答されることを決定している。

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2020年4月10日金曜日

建国九周年に際しての勅語

建国九周年に際しての勅語
第000005号(泰永07年本紙第02号)
掲載 泰永07年04月10日(金)
 国臣新聞法(泰永6年法律第7号)第2条第4項の定めにより、人の姓名は、「(姓 名)」に置き換えた。

 朕は、親ら思うところを国民に知らしめるべく、建国九周年に際しての勅語をここに渙発する。

御 花 押  国 璽

泰永七年四月十日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
勅語第一号
建国九周年に際しての勅語
 本日、建国九周年のよき日を迎えたことは、朕の深くよろこびとするところである。このときに当たり、今日まで国のために力を尽くしてくれた国民諸君に対し、敬意を表する。
 昨今、問題となっている新型コロナウイルスは、今も多くの人を苦しめている。残念ながら、わが国においても建国祭及びそれに伴う諸儀式が中止されるなど、その影響が出ている。幸いに、わが国における新型コロナウイルスの感染者は未だ発生していないが、故界日本国の緊急事態宣言が発せられた地域にわが同胞のあることも承知している。この際、どうか国民一人一人が意識を改め、政府の指示に従い、感染拡大を防いでくれることを強く希望する。
 初代聖上即位紀元十年という節目の建国節を悲しみと苦労の中に迎えなければならなくなったことは、誠に残念であるが、このウイルスが終息した日に思いを馳せ、今が正に闘いのときであるということを強く認識して国民諸君は行動してもらいたい。
 これをもって建国九周年に際しての勅語となす。国民諸君は、朕の意をよく理解して、これを実行に移されたい。

御 名  御 璽

泰永七年四月十日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)

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2019年8月23日金曜日

仮刑法の一部を改正する法律

仮刑法の一部を改正する法律
第000001号(泰永06年本紙第0001号)
公布 泰永06年08月23日
施行 泰永06年08月23日
 人の姓名は、国臣新聞法(泰永6年法律第8号)第4条第4項の規定によって、「(姓 名)」に置き換えた。
 関連法令には、次のものがある。

 朕は、仮刑法の一部を改正する法律を裁可し、ここにこれを公布する。

御 名  御 璽

泰永六年八月二十二日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
法令第十四号
仮刑法の一部を改正する法律
 仮刑法(泰永四年法律第九号)の一部を次のように改正する。
 目次中「第二十三条」を「第二十二条」に改める。
 第十二条中「及び女王、王太子及び王太子妃、太上国王及び王太后、至尊国王及び太王太后」を「、王后、無上王、太王太后、太上王、王太后、高男至尊、高女至尊、男至尊、女至尊、王嗣及び王嗣妃」に改める。
 第十三条中「国王及び女王、王太子及び王太子妃、太上国王及び王太后、至尊国王及び太王太后以外の」を削る。
 第十四条第一項中「時の内閣総理大臣、上院議長、下院議長及び国民最高裁判所長官」を「卿院議長、選院議長、内閣総理大臣及び破毀院長に」に改める。
 第二十三条を削る。
 附則第二号中「失効」を「廃止」に改める。
附則
 この法律は、公布の日から施行する。
法務大臣 希爵 (姓 名)
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)

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祝日法

祝日法
第000001号(泰永06年本紙第0001号)
公布 泰永06年08月23日
施行 泰永06年08月23日
 人の姓名は、国臣新聞法(泰永6年法律第8号)第4条第4項の規定によって、「(姓 名)」に置き換えた。
 関連法令には、次のものがある。

 朕は、祝日法を裁可し、ここにこれを公布する。

御 名  御 璽

泰永六年八月二十二日
内閣総理大臣 仁爵 (芳 名)
法律第十三号
祝日法
(目的)
第一条 この法律は、祝日に関して定め、国民の結束力を高め、以て国の安泰と世界の平和に寄与する国家を成すことを目的とする。
(祝日)
第二条 国民がこぞってその意義を達する日を祝日という。
2 次に掲げる日を祝日とし、休日とする。
元日一月一日新年を祝う。
交友記念日二月二十三日他者の存在に感謝する。
国旗記念日三月九日国旗の制定を祝う。
共和節三月十一日共同和合の精神を新たにする。
青雲祭日三月二十二日国と王室の発展を祈る。
建国節四月十日建国を祝う。
憲法記念日五月一日泰佑共和国第二憲法の制定を祝う。
新儀記念日五月十七日新儀改革に思いを馳せる。
国軍記念日六月七日国軍を労う。
国際記念日六月九日国際社会の一員であることを自覚する。
生命記念日六月十日あらゆる生命に感謝する。
国歌記念日七月三日国歌の制定を祝う。
桐推節七月十五日神霊の降臨を祝う。
菊推節八月二十九日神霊の昇天を祝う。
国章記念日八月三十一日国章の制定を祝う。
聖上節九月一日国王の誕生を祝う。
文化記念日九月十八日文化発展の功績を称える。
中宮節十月十二日王后の誕生を祝う。
科学記念日十月二十八日科学発展の功績を称える。
眺望記念日十一月二十二日将来像を確立する。
大晦日十二月三十一日一年を総括する。
(振替休日)
第三条 土曜日が祝日となる場合において、直前の金曜日が平日のときは、その金曜日を振替休日とし、休日とする。
2 日曜日が祝日となる場合において、直後の月曜日が平日のときは、その月曜日を振替休日とし、休日とする。
(特別休日)
第四条 平日の直前及び直後の日が祝日又は儀式休日のときは、その平日を特別休日とし、休日とする。
(儀式休日)
第五条 国にとって重要な儀式を行う日を儀式休日とし、休日とする。
2 儀式休日は、詔書によって定める。なお、この詔書の渙発には、枢密院の諮詢及び選院の承認を要する。
附則
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から施行する。
(国民の祝日及び祭日に関する法律の廃止)
第二条 国民の祝日及び祭日に関する法律(泰永四年法律第三号)は、廃止する。
内閣総理大臣 仁爵 (芳 名)

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暦法並びに紀年法及び元号の使用に関する法律

暦法並びに紀年法及び元号の使用に関する法律
第000001号(泰永06年本紙第0001号)
公布 泰永06年08月23日
施行 泰永06年08月23日
 人の姓名は、国臣新聞法(泰永6年法律第8号)第4条第4項の規定によって、「(姓 名)」に置き換えた。
 関連法令には、次のものがある。

 朕は、暦法並びに紀年法及び元号の使用に関する法律を裁可し、ここにこれを公布する。

御 名  御 璽

泰永六年八月二十二日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
法令第十二号
暦法並びに紀年法及び元号の使用に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、暦法並びに紀年法及び元号の使用について定め、これらの濫立を防ぎ、以て国民生活の混乱を抑えることを目的とする。
(暦法)
第二条 普通用いる暦法は、グレゴリオ暦とする。
(紀年法)
第三条 普通用いる紀年法は、初代聖上即位紀元及びキリスト紀元とする。
2 初代聖上即位紀元及びキリスト紀元は、参紀及び西暦とそれぞれ称することができる。
(元号)
第四条 普通用いる元号は、最新の改元詔書による。
(国及び地方自治体の年表記)
第五条 国及び地方自治体は、年を表記する際に元号を使用しなければならない。但し、元号で表せない年を表記する際は、初代聖上即位紀元を使用することができる。
(国民の年表記の自由)
第六条 第五条の規定は、国民に強制するものではない。国民が任意の紀年法又は元号によって年を表記する自由は、保障する。
(他の暦法並びに紀年法及び元号の使用)
第七条 この法律が定めない暦法並びに紀年法及び元号の使用は、妨げられない。又、これらによって表記された内容は、当然有効とする。
附則
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から施行する。
(年数確定)
第二条 この法律を公布した年は、初代聖上即位紀元九年であり、キリスト紀元二千十九年である。
(泰永の根拠)
第三条 泰永の元号は、改元詔書ではなく理想的国家樹立之命(第弐永大断言命令)を根拠とする。
(新儀の根拠)
第四条 新儀の元号は、改元詔書ではなく建国命(第壱永大断言命令)を根拠とする。
(元年)
第五条 紀年法及び元号においてその使用を開始した年は、元年と表記しなければならない。但し、この規定は、一年と表記したものの効力を失わせるものではない。
(紀元前)
第六条 紀年法において元年以前は、紀元前と表記する。この際、元年の前年を紀元前元年とする。
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)

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首都を定める法律

首都を定める法律
第000001号(泰永06年本紙第0001号)
公布 泰永06年08月23日
施行 泰永06年08月29日
 人の姓名は、国臣新聞法(泰永6年法律第8号)第4条第4項の規定によって、「(姓 名)」に置き換えた。
 関連法令には、次のものがある。

 朕は、首都を定める法律を裁可し、ここにこれを公布する。

御 名  御 璽

泰永六年八月二十二日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
法令第十一号
首都を定める法律
 首都は、愚見州とする。
附則
 この法律は、国礎法を廃止する法律(泰永六年法律第六号)を施行する日から施行する。
国土大臣 宇爵 (姓 名)
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)

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国の標語を定める法律

国の標語を定める法律
第000001号(泰永06年本紙第0001号)
公布 泰永06年08月23日
施行 泰永06年08月29日
 人の姓名は、国臣新聞法(泰永6年法律第8号)第4条第4項の規定によって、「(姓 名)」に置き換えた。
 関連法令には、次のものがある。

 朕は、国の標語を定める法律を裁可し、ここにこれを公布する。

御 名  御 璽

泰永六年八月二十二日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
法令第十号
国の標語を定める法律
 国の標語は、国民が協力し合い世界の平和及び国の安定に邁進することを願い、共同和合とする。又、これの読み方は、次のとおりである。
(きょう)(どう)()(ごう)
附則
 この法律は、国礎法を廃止する法律(泰永六年法律第六号)を施行する日から施行する。
教育大臣 宇爵 (姓 名)
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)

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通貨の単位を定める法律

通貨の単位を定める法律
第000001号(泰永06年本紙第0001号)
公布 泰永06年08月23日
施行 泰永06年08月29日
 人の姓名は、国臣新聞法(泰永6年法律第8号)第4条第4項の規定によって、「(姓 名)」に置き換えた。
 関連法令には、次のものがある。

 朕は、通貨の単位を定める法律を裁可し、ここにこれを公布する。

御 名  御 璽

泰永六年八月二十二日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
法令第九号
通貨の単位を定める法律
(通貨の単位)
第一条 通貨の単位は、相とする。又、これの読み方は、次のとおりである。
(そう)
(通貨の補助単位)
第二条 通貨の補助単位は、鈴とする。又、これの読み方は、次のとおりである。
(りん)
附則
 この法律は、国礎法を廃止する法律(泰永六年法律第六号)を施行する日から施行する。
財務大臣 宇爵 (姓 名)
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)

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国号、国旗、国歌及び国章に関する法律

国号、国旗、国歌及び国章に関する法律
第000001号(泰永06年本紙第0001号)
公布 泰永06年08月23日
施行 泰永06年08月29日
 人の姓名は、国臣新聞法(泰永6年法律第8号)第4条第4項の規定によって、「(姓 名)」に置き換えた。
 関連法令には、次のものがある。

 朕は、国号、国旗、国歌及び国章に関する法律を裁可し、ここにこれを公布する。

御 名  御 璽

泰永六年八月二十二日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
法令第八号
国号、国旗、国歌及び国章に関する法律
(国号)
第一条 国号の読み方は、次のとおりである。
(たい)(すけ)(きょう)()(こく)
2 国号の英語による表記は、次のとおりである。
Joint Unity Nation of Taisuke
(国旗)
第二条 国旗の読み方は、次のとおりである。
(くん)(きょう)()
2 君教旗は、別記第一のとおりである。
(国歌)
第三条 国歌の読み方は、次のとおりである。
()(こく) (いや)(さか)
2 祖国の弥栄をの歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりである。
(国章)
第四条 国章の読み方は、次のとおりである。
(くん)(しん)(はい)(めい)()
2 君心拝命図は、別記第三のとおりである。
附則
 この法律は、国礎法を廃止する法律(泰永六年法律第六号)を施行する日から施行する。
別記第一(第二条関係)
 君教旗
君教旗
別記第二(第三条関係)
 祖国の弥栄をの歌詞及び楽曲
一 歌詞
1 翻る旗をつかみし君主 いま海を背に地に降りる
我が祖国を治めたまえ
我らが君主と我らが祖国の弥栄を願う
我の願いよ 天地に届け 永久に叶え
2 携える旗を地に刺す君主 荒れる波風が静まり
日に照らされる我らが旗
君主の教えをその身に帯びて旗を囲み
万歳 万歳 万歳と叫ぶ声は まだ静まぬ
3 煌めく旗を見上げし君主 祝砲轟くこの地を
力合わせて開拓せん
幾多の難を乗り越えし我らは遂げるであろう
今宵 皆の偉功を讃え合いて 祝杯挙ぐ
4 栄えある旗を眺めし君主 月の光に照らされて
輝きを増す我が祖国の
明日を思えば我が心は躍り熱くなる
夢が如き理想の国は此処ぞ 我が祖国ぞ
5 祖国の旗を掲げし君主 新しき国打ち立てん
共同和合忘るるな
この精神以て我らの国づくりは進む
これぞまさに弥栄への道ぞ 祖国永久に
二 楽曲
祖国の弥栄をの楽曲
別記第三(第四条関係)
 君心拝命図
君心拝命図
外務大臣兼内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
教育大臣 宇爵 (姓 名)
国土大臣 宇爵 (姓 名)

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2019年8月22日木曜日

国臣新聞法

国臣新聞法
印刷版未掲載
公布 泰永06年08月22日
施行 泰永06年08月22日
 人の姓名は、国臣新聞法(泰永6年法律第8号)第4条第4項の規定によって、「(姓 名)」に置き換えた。

 朕は、国臣新聞法を裁可し、ここにこれを公布する。

御 名  御 璽

泰永六年八月二十一日
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)
法律第七号
国臣新聞法
(国臣新聞)
第一条 国臣新聞は、国の機関紙にして、法令等を掲載する。
2 国臣新聞は、印刷版及び電子版の二種の方法によって閲覧することができる。
3 印刷版の割り付け及び電子版の配置は、慣例による。
(国臣新聞の編輯及び発行)
第二条 国臣新聞の編輯及び発行は、共和印刷公社が行う。
2 電子版において、法令の改正があったときは、その改正を施した法令を掲載する。この際、改正した旨を示し、改正を施す前の法令を閲覧できるようにしなければならい。
3 電子版において、廃止された法令は、その旨を示さなければならない。
4 電子版において、人の姓名は、保護して掲載することができる。
附則
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から施行する。
(共和印刷公社の設置)
第二条 共和印刷公社は、共和印刷公社を設置する法律が施行されるまでは、この法律を根拠に設置される。
(電子版)
第三条 国臣新聞の電子版は、次のウェブサイトである。
https://www.kokushin-og.com
2 この法律の施行の日よりも前に公布された法令のすべては、電子版に掲載する。
内閣総理大臣 仁爵 (姓 名)

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2019年7月30日火曜日

第八回政事議会を召集する詔書

第八回政事議会を召集する詔書
渙発 泰永06年07月30日
 プライバシー保護のため、人の姓名は(芳 名)に置き換えた。
 関連法令には、次のものがある。

詔書第二号
第八回政事議会を召集する詔書
 朕は、泰佑共和国第二憲法第十四条によって、泰永六年八月十日に、政事議会の臨時会を愚見に召集する。
 なお、これを以て第八回政事議会として、これの会期を四十五日とすることを命じる。

御 名  御 璽

泰永六年七月三十日
内閣総理大臣 仁爵(芳 名)

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